2014年5月  定例山行(平家伝説の山)

馬糞ヶ岳(985m)

山口県周南市鹿野町


登る前にストレッチ


森の中を歩く


山頂で集合写真


⇒三重さん作成のアルバム

5月18日(日) ☆天候 晴
参加者  24名  CL:西田、SL:明石
熊谷(眞)・花岡・中島(美)・曽田・川野・安永・坂井・円山・
原田・杉山・中島(恵)・中島(靖)・田所・新江・三重(成)・
三重(典)・川村・若林・三村・島田・宮木(一)・宮木(澄)
コースタイム
広島駅北口発(8.05)→秘密尾登山口着(10.35)→登山口発(10.50)
→札ヶ峠(11.10)→馬糞ヶ岳頂上(12.37)→頂上出発(13.17)→
札ヶ峠(14.10)→登山口(14.28)→氷見神社(14.35〜50)→
鹿野IC(15.10)→吉和SA(16.20)→広島駅北口着(17.25)
報 告(登山紀行)
 広島駅北口からマイクロバスで出発し、広島インターから中国道を通り,途中吉和付近からは右に女鹿平山が見え,またその向こうには,素晴らしい眺めの中に大きな山塊が見られ,峰の右側に烏帽子をくっつけた吉和冠山の秀峰が目に入った。
 県境のトンネルを出た右側には,寂地山から小五郎山までの尾根が、大パノラマの様に青い空をバックにきれいに広がっていた。
 その中でも一段とはっきり確認出来たのは,小五郎山の姿で,空の中に高い頂きをどっしりと構えている姿が、特に印象に残った。
 鹿野インターで降り街の中を進むと,昔精進料理で一時期賑わい石庭のある漢陽寺の姿が左に見え,周南市の鹿野総合支所の側を通り,天神山公園の案内を確認し,この先を右折した。
 少し進むと鹿野森林組合の建物が左に見えて来ると,この建物の前を左折し,トンネルを出た所から左に少し狭い道を奧へと進むと,民家の庭先に古タイヤで造られためずらしい造形物を見る事が出来た。
 この先の秘密尾への案内に従い、水田の中の細い道を進むと雑木林の中の集落道に入り,マイクロバスの通行は大丈夫かなと思っていたら,やがて木々の間から忽然と、遠くに馬糞ヶ岳の姿が見えて来た。
 好き好んで何でこんな名をと,誰もが奇妙に感じるが,通説には「平家の残党の軍馬の糞でこの山の形が変わった」と言った説等いろいろ有るが,秘密尾のあたりから眺めると,誰が見ても出来たてホヤホヤの「馬糞」の形に見える事に由来するのが一番妥当な話らしい。
 狭い集落道を下ると秘密尾の集落が表れ,やがて2,3の民家がある場所にたどり着き、こんな奥深い山の中にも、人は住んでいるのかと驚いた。
 また下界から離れ限界集落となっているここでの生活は、毎日がどんな事をして過ごしておられるのか少し疑問も沸いて来た。
 左に道を取り,今度は少し広くなった林道を進むと,左には氷見神社を見ながらやがて進行方向左の黄色いガードレールの側に,馬糞ヶ岳の登山口の標識を確認した。
 バスを降り,登山口の付近は少し草で覆われ、道幅も狭くなっていたが,少し中に入ると足下は歩き易くなり,草の心配も無くなった。
 右に沢の音を聞きながら緩やかな登り道を進み,少し先で左に折り返し,少し明るくなった登山道を進めば,沢に出会った。
 沢を渡り,山腹の斜面に付けられた細い道を滑らないように慎重に横道を進むと,まもなく樹林帯の中に入った。
 道の左上を見上げると、急斜面の法面に真っ直ぐ伸びた多くの檜林のきれいな姿が見られ,しばらく進むと右からの道と合流し,道案内の石柱の立つ札ヶ峠に着いた。
 この場所は、昔は麓の須万と隣村の広瀬(現在の岩国市錦町=錦鉄道起点)を結ぶ峠で、この石柱には弘化3年(1846年)の道しるべで、「右すま、左ひろせ」と書かれていた。
 石柱を過ごして、右には広瀬に行く山道が見えたが、左の道に入り最初は穏やかな坂道であったが,やがて急な坂道に変わった。
 左には檜の植林帯がきれいに森を覆っており、右は自然林となっていて、その境に急な登山道が、上に向かってほぼ真っ直ぐ見上げるように伸びていた。
 少し汗が出て来たかなと思ったら、やがて進路が大きく右の東方面に変わる平坦な場所になり,そこには林業施行の様子が見られ,笹を刈り払った新しい登山道らしき道が表れた。
 前回の下見の時は右に見た大岩を,今は左に見ながらの登りで,どうも違った道を登っていると感じ、やがて一行も間違いに気づき,左の本来の笹に囲まれている登山道に戻った。
 確かに笹等を刈り払い、人の踏跡もしっかり確認出来る登り道ではあったが、道が次第に右の方にトラバース気味になって行き、後から考えると、業者の林業施行のための開設道だと思った。
 左右を笹に挟まれ,本当に熊が出て来てもおかしくないような人里離れた深い山奥のブナやミズナラ、クヌギに囲まれた自然林の中で、少し緩やかな坂道を登り切ると,あたり一面が笹に覆われた平坦な場所に着いた。
 側の木に、左が長野山右が馬糞ヶ岳と、かすかに読み取れる標識が,二つに割られて上下に付けられており、ここから長野山への尾根の縦走路が分かれている事を確認した。
 道を右に取り,僅かに高度が下がり笹に囲まれた道をふたたび登り返せば,ぱっと開けた一等三角点の埋まっている馬糞ヶ岳の頂上に飛び出した。
 明るい山頂からは,南東方面のみ視界が開けており,少々霞んだ展望からは,いくら見渡しても広い山々が続き、かなり遠くも見られた。
 しかし山と空以外はまったく視界には入らず、熊の生息も見られるこの地域に、いかに馬糞ヶ岳が奥深い山の中に、どっしりとまたひっそりとそびえているのかを確認出来た。
 昼食後全員集合の写真を撮り終え,今登って来た道を再び引き返して下ることとした。
 今度はかなりのスピードで、場所によると思ったより急な下りと感じ,良くこの急登を登ったなと思いながら下って行くと,札ヶ峠も程なく通過して、あっという間に登山口に着いた。
 バスに乗り林道を下ると、右側に杉に覆われた薄暗い林の中に、氷見神社の鳥居が見られ、みんなで神社にお参りする事にした。
 秘密尾氷見神社は、伝統を今に伝えている貴重な神社で、入り口の右側に建ててある氷見神社説明板によると、平安初期に朝廷で編集された歴史書「三代実録」に、清和天皇から比美神社に従四位を授くと、朝廷から位を与えられた事が記されている。
 また奈良県の大峰山と同じく「女人禁制の地」が現在も守られており、中宮とそれから奥の院までは女性は今でも入れない。
 総檜造りの中宮の小祠は、今でも二十年毎の遷宮が行われており、最近は平成22年11月21日に行われている。
 車から降りて鳥居をくぐり石の階段を登り、奥深い苔むした歴史有る神社に、みんな神妙な気持でお参りをした。
 中国地方で人里から離れたこのような山奥の地に、歴史有る神社が今もって存在する事と、まさしく日本原風景の中に立てた雰囲気を感じ取り、なかなか体験できない機会に巡り会えたので、皆さん非常に感慨深い気持になられたと思った。
 ふたたびマイクロバスに乗り、鹿野町から中国道に乗り吉和のサービスエリヤで休憩を取り、全員元気に無事広島に帰って来られた。
 少し残念な事は、下見の時思ってもないような雪に覆われ、長野山と馬糞ヶ岳の分岐場所では、かなりの積雪であったので、長野山までの縦走か、もしくはその縦走途中から、五万堂渓谷に下る山行が出来なかった。
 来年度以降、馬糞ヶ岳から長野山までの、かなり距離があり歩き概の有る尾根道の縦走に挑戦し、周りには平家伝説にちなむ地名が多い森深い山の中に入ってみたいと思っている。

(記 明石良雄)

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