2017年4月  グループ山行(広島市中区最高峰)

皿山(52m)〜江波山(32m)

広島市中区


入山禁止「シェー」


江波山から皿山を臨む


「シェ・ヤマライ」で乾杯

4月5日(水) ☆天候:曇り
参加者10名 CL新江みどり SL若木一之
松本 中島(恵) 堂垣内 若林 眞田 三浦 三村 田所
コースタイム
広電江波車庫9:40→慈仙寺9:50→シュモ―ハウス10:30→
皿山(工事中)登り口10:50→江波山11:20→気象館11:50→
シェ・ヤマライ13:50→衣羽神社14:00→江波港14:20→
広電江波車庫14:40
報 告
 やまぼうし30周年記念登山開始の山だが、全山中最低峰の山。しかし、この2つの山からデルタ発展の広島城時代から軍都広島、原爆、そして現代までの広島市の歴史が凝縮して分かる。
 江波車庫から旧陸軍射撃場の的だった皿山の麓を回り、慈仙寺へ。平和公園内「被爆した墓石」がある所にあった寺で爆心地の凄惨な証言が残る寺。皿山に苦労して再興され、今は眼下に天満川を臨んで静かに佇んでいる。
 次はシュモーハウスへ。原爆投下に心を痛めた海外の人々の中にシュモーという人がいた。住まいを失った人達の為に家を建てる活動をし、江波には集会所として建てられた家が長く使われていた。それが南道路建設整備地にかかり曳家移転で保存され、シュモーを含めた海外からの支援を伝える展示施設になっている。レイノルズ夫妻が江波港からヨットで平和巡礼に旅立つ写真に中学生の三村さんが写っているとのことで探すが残念ながら後姿でよく分からない。
 そして、皿山へ。3月末工事終了予定が7月末に延期。おまけに下見時には見かけなかったガードマンさんがいて進入できそうにない。その場で写真を撮る。
 続いて江波山へ。広島市制定の最も古い公園。南は昭和初期まで白砂青松の海水浴場で風光明媚な地。「この世界の片隅で」で描かれていた草津までの干潟も目の前に広がっていたはず。桜は満開には少し早いが平日にしては花見客が多い。40年前に見た燃えるような桜は私と同様年老いた気がする。開花の遅いヒロシマエバヤマザクラはまだつぼみ。すぐそばの被爆建物の気象館を見学してシェ・ヤマライへ。
 本日の昼食は広島では古くから知られているフランス料理のお店。昔は“注文の多い料理店”だったのに、ドレスコード無しの親しみ易いレストランになっている。ゆっくりとした時を過ごし、昼食を楽しむ。
 午後は江波が島だった時代から鎮座する衣羽神社の方から下り、江波の港へ。ここら辺りに来ると海の匂いがし、漁村だった江波の昔が伺える。夏の夜に見た漕ぎ伝馬の火祭りを思う。港から北を臨むと直に見えていた船乗りの目印だった丸子山は南道路の高架の向こうに見える。その後、高架下に展示してある道路工事中に発掘された物や江波の古い写真を見学して江波車庫へ。
 36年間江波に住み、4年前に離れた私だけれど、南道路の建設によって私の知る江波は一変している。島だった時代から現在までの変化は計りしれない。おさんぎつねもびっくりかも。しかし、皿山や江波山はどんなに削られ、変化させられようと残っている。

(記 新江みどり)

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